今まで広告というものデザインというものに、
お仕事を通じて関わらせていただいてきて思うことが有る。
小さい頃から絵を描くことが凄く好きで、よく書いていたのだが
中学校に入り美術の授業でお皿をデザインすることになった時
相当ショックを受けたのを覚えている。
当然のようにぼくはお皿に自分の好きな車の絵やロボットの絵を
無我夢中で書いていたのだが、それを友達にダメだしされたのである。
そのことがすごいショックだった。
4人一組で一つの机で作業するのだが、そのなかで
ぼくの書く絵は幼稚で美術向きではないだの散々言われてしまったのである。
今思えばそのようなことは大したことではないが、
小さい頃にはそれがショックで一番自分が好きなことを
3人掛かりで週一で否定され続けるのはさすがに正直応えた・・・・
結局ぼくはそのお皿に線と四角や三角だけの模様を書き
シンプルで否定するのが難しいデザインをしたのだった。
それから僕は絵を描くのが怖くなってしまった。
コンプレックスかな?これが
いじいじして絵以外の音楽とかにうちこみ
思えば人にやんや言われないような意味不明なものを作ったり
そういう発言をするようになった。
しかし大学に入り友達の一言をきっかけにまたデザインに興味を持ち始めた。
「オノディの取る授業のノートすごいわかりやすいね!」
言われたときはすごく嬉しくて、毎回毎回授業のノートをとるのが楽しくなり
試験前には皆に貸すのが常であった。
今思うと綺麗なノートをとることができる能力というのは、
広告屋さんにとって大事なことなのかもしれない。
自分以外の人の授業/あるいわメッセージを聞き、
時間がたったときに誰が見てもわかりやすいように
図やテキストを使って、紙面に情報を再構築していく作業。
この「誰が見ても」というのを意識したりすることで
強烈にデザイン内容がかわっていくのである。
あと見る人のシチュエーションとか目的とか気持ちとか色々な要素がすごく変わってくる。
例えば試験でいい点を取りたい人に貸すノートの書き方と、
ただ単に授業の内容全体をつかみたい人に貸すノートの書き方など。
汚い字や、自分だけがわかる記号なんてもってのほか。
多分、前衛アートとかは凄いのだろうけど
多くの人に伝わるように作られていないから
あまり興味をもていない。
もし好きな子に気に入られるためのノートをかくのなら
暗号を含ませるのもありか??いやないな。。。
みたいに試行錯誤が生まれるのは重要。
だからぼくは思う。
人と話しているときに、その人がいった「イイこと」をノートにとるのも重要だけど、
誰にそのノートを見せるのか、あるいは後で見返すときはどんなときかを意識して、
何を伝えたいのかを意識してノートをとることがもっと重要じゃないかなと。
そういうことを考えてしまう癖がある人や、
それを面白いと思える人がいたら広告に向いている人なのじゃないかと思うのでした。
ノートを通してコミュニケーションやデザインを自分なりに学べたので
忘れないようにここにメモしておきます・・・